第七届“LSCAT杯”浙江省笔译大赛
一等奖
项目:汉译日
日语2008班 刘小小
縄文時代にすでに確認できる鳥食は、歴史の推移とともに徐々に体系化され、洗練され、室町時代後期ともなると、非常に多彩な野鳥料理が生み出された。そして、それが江戸時代の爛熟した鳥食文化の基礎となった。鳥食文化の全盛期となった江戸時代には、江戸周辺で行われる鷹狩という儀礼行為によって、将軍の威光と社会秩序を保とうとした幕府が、江戸周辺農村の鳥猟とそこから江戸への鳥の流入、そして江戸における鳥商売を厳重に管理し、統制しようと目を光らせた。
“鸟食”最早可追溯到绳纹时代,经过历史的锤炼逐渐体系化,直至室町时代后期,丰富多彩的“野禽料理”应运而生,为在江户时代走向成熟的“食鸟”文化奠定基础。而在“食鸟”文化达到鼎盛的江户时代,幕府通过在江户周边举行“鹰猎”的仪式树立将军威信维护社会稳定,并对江户周边农村捕猎、向江户的流通、以及在江户贩卖野生禽类的行为实施严格的管理和控制。
王権による狩猟の支配は、歴史上、世界の広い範囲で見受けられるが、巨視的な観点からいえば、江戸幕府の鳥猟や野鳥流通の統制は、そのような王権による自然支配の類例といえるだろう。この野鳥の統制は、将軍が住まう江戸に特有の現象で、京阪などのほかの地域ではここまでの厳格さはなかったようである。その点で、江戸の鳥食文化は、天皇制を維持しながら、京の都から離れた江戸で実質的な「王権」を簒奪した徳川政権が生み出した文化だともいえる。
历史上,皇权对狩猎的控制在世界范围内广泛存在。从宏观角度来看,江户幕府对捕猎和买卖野禽的控制可以说是皇权支配自然的一种体现。这种对野禽的垄断是幕府将军所在的江户特有的现象,在京都大阪等其他地区并没有如此严格的限制。由此看来,也可以说江户的“食鸟”文化是由于篡夺天皇实权的德川政权一方面要维护天皇制,另一方面又要在远离京都的江户执政的需要而产生的。
江戸では武士や裕福な町民たちも、料理技術を習得した専門の料理人たちによって生み出された鳥料理に舌鼓を打っていた。贈答にも使われる贅沢品である野鳥の商売は、経済的にうま味があったため、堅気の商人のみならず、侠客や詐欺師、密売人といったアウトローたちも群がった。
即使是江户时代的武士和富人都禁不住对大厨烹制的野禽料理垂涎三尺,加之野生禽类又是赠答中的奢侈品,其中的巨大利益吸引了一批人将目光投向贩卖野生禽类。这群人中除了正规的商人,也不乏黑帮、骗子、非法商人之类的蝇营狗苟之辈。
野鳥を江戸に供給する江戸の周辺の農村地帯は、鳥商売を介して江戸と密接につながっていた。そこでは合法的な狩猟が行われていたとともに、非合法な密猟や、それを江戸へと隠して運び込む密輸も横行していた。アウトローたちのなかには、その監視の目を巧みにかい潜り、稼ぎを上げる者がいたが、一方で、あえなく捕縛され、厳罰に処される者もいた。鳥産地の村には、狩猟方法や狩猟期間を規制し、共同で狩猟を行う共的な仕組みも存在した。
为江户提供野生禽类的周边农村通过贩卖野禽与江户建立了密切关系。至此,合法狩猎顺利开展的同时,非法偷猎以及以江户为目的地的走私也十分猖獗。这些不法分子中,有人掩人耳目逃过监管并从中谋利,也有人因此被逮捕,受到严惩。那些野禽的产地则规定了捕猎的时间和方法,并要求狩猎者统一行动,共同狩猎。
日本の鳥食文化は、魚やほかの動物たちの食文化には見られないような、政治や経済、社会、儀礼などをめぐる複雑な文化複合体を形作ってきたのである。しかし、この文化複合体は、近代化の過程で崩壊し、結果、現代日本人は野鳥の味を忘れてしまった。
日本的“食鸟”文化和由鱼或其他动物形成的饮食文化不同,是受政治、经济、社会、传统礼法等多方面因影响而形成的复杂的文化综合体。然而,这个复杂的文化综合体在现代化进程中逐渐消弭。最终,现在的日本人还是淡忘了野禽的滋味。